しまづ幸広(日本共産党元衆議院議員)-浜岡原発廃炉、静岡から政治を変えよう

プロフィール

しまづ幸広2015年略歴

  • 1956年10月19日浜松市生まれ。
  • 県立浜松工業高校建築科卒業。
  • 建設会社勤務を経て、日本共産党静岡県委員会に勤務。
  • 静岡民報記者、しんぶん赤旗県記者、党県委員会政策委員長、書記長など歴任
  • 2014年 衆議院議員当選(比例東海ブロック)
  • 現在、衆院内閣委員
  • 家族は、妻と一男一女。

私の歩み

世の中の矛盾を感じた幼・少年期

 クリスマスになると「プレゼントをもらった」と喜ぶ近所の友達を見て、「なぜ自分の家にはサンタクロースが来ないのか」と悲しい思いをした幼年期。母は休みなく一生懸命働いていましたが、くらしは楽になりませんでした。
 女手ひとつで私と妹を育ててくれた母の苦労がむくわれる世の中にならないものか―――こんな素朴な願いをもちながら大きくなりました。

日本共産党との出会い

 高校に入学して、日本共産党を相談相手に活動する青年組織「民青同盟」に誘われました。日本共産党が、国民の苦難を解決するために活動していることを知り、ためらうことなく民青同盟に加盟しました。
 この時期は、当時のソ連を見ていて、共産党のめざす未来社会では「貧富の差」はなくなっても、「自由や民主主義」は制限されると思っていました。しか し、ソ連が社会主義の道から踏み外していること、本来の社会主義は資本主義の矛盾を解決するだけでなく、自由や民主主義など人類が築き上げてきた成果を引 き継ぎ発展させる社会であり、一人ひとりの人間の能力が花ひらく社会であることを学びました。
 「母のような人の苦労がむくわれる社会、人間が大切にされる世の中にしたい」と18歳になった高校3年生のとき日本共産党に入党しました。

県内各地に足を運んで

 足かけ11年つとめた赤旗県記者の時代、県内すべての市町村をまわりました。暴力団事務所の立ち退きを求めた浜松・海老塚の自治会のみなさんの勇気あるたたかいなど、励まされることや学ぶことが多かった取材活動でした。
 同時に自民党政治に苦しむ多くの姿を目の当たりにし、政治を一日も早く変えていかなければならないと決意を新たにする毎日でもありました。
 直接、政治家として政治を変えるために微力ながらも力を発揮したいと、1995年の参議院選挙・静岡選挙区で国政に初挑戦しました。

政策委員長として

 党県委員会の政策委員長として、県議選や知事選の政策づくりにあたってきました。
静岡県木造個人住宅耐震補強工事への助成制度では、県議団とともに東海地震後に必要となる仮設住宅の建設費を耐震補強として先行投資すれば、貴重な人命も 経済的損失も少なくてすむとの試算もおこない県当局に迫り、県レベルでは全国初の実施につなげました。
 地域の活性化に向けた共同の取り組みでは、多くの業界団体を訪問し、懇談を重ねています。旅館組合や行政当局も参加し、全国から注目を集めた「伊豆の観 光を考えるシンポジウム」(1996年・伊東市)など、多彩なシンポジウムも企画・準備してきました。

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